丹生(にう)という地

丹生(にう)という地


三重の勢和多気にある丹生大師。
大師堂の手前にある玉を持つ竜。
古のものづくりの物語との結びつきが多き土地である。

弘法大師空海の開基と伝わる真言宗神宮寺で、丹生神社と隣接し、神仏習合の歴史を語っている。
丹生大師と呼ばれたのは江戸時代以降だそうだ。
かっては伊勢水銀(軽砂)の産地として繁栄をした土地。

縄文時代から丹生鉱山とその近辺で辰砂の採掘が行われていたらしい。
古代における水銀の用途は、朱(弁柄)、赤土(丹土)と共に朱砂が顔料として用いられていた他、
アマルガムメッキ用に水銀が用いられていた。
特に奈良東大寺の虞舎那仏像(大仏)の建造の際には、熟銅73万7560斤とともに、
メッキ用に金1万436両、水銀5万8620両、さらに水銀気化用に木炭1万6656斛が調達されている。
この際に使用された水銀が全て伊勢産で賄われていたかは不明。
その後、損壊した大仏を再建するために用いられた水銀は、全て伊勢産であったと考えられている。
伊勢産を含めた水銀や朱砂が交易品として中国にも輸出されていた。

伊勢白粉(射和軽粉)
原料は水銀に、食塩・水・実土(赤土の一種)である。
製法としては、水銀・食塩・水・実土をこね合わせ、鉄釜に入れて粘土製の蓋である「ほつつき」で覆って約600℃で約4時間加熱し、内側に白い結晶が塩化第1水銀であり、これを払い落とし、白い粉状にしたものが水銀白粉。
白粉は鎌倉時代に中国から製法が伝来したとされる。
一般に広まったのは、伊勢神宮の御師が諸国の檀那に大神宮のお祓いと共に白粉を配るようになった事がきっかけとされている。
明治時代に入ると製造過程で水銀中毒が続発した事や洋式の第1塩化水銀の製法が普及した事、医薬品の法的規制の強化によって窯元は減少し1953年に最後の窯元が廃業して伊勢白粉は途絶した。

アマルガム (amalgam) は、水銀と他の金属との合金の総称。
ギリシャ語で「やわらかいかたまり」を意味する malagma を語源とする。
日本で古墳時代以来使われているめっき法で、「消鍍金(けしめっき)」などと呼ばれた。

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